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東京地方裁判所 昭和40年(レ)142号 判決

控訴人 日本ロール製造株式会社

被控訴人 戸島範治 外二五名

被控訴人 亡畔上忠蔵訴訟承継人 畔上とき 外三名

被控訴人 亡小堤 守訴訟承継人 小堤きみ 外三名

主文

一、原判決を取消す。

二、被控訴人らの請求はいずれもこれを棄却する。

三、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

四、本件につき江戸川簡易裁判所が昭和三八年六月七日および同年九月二六日にした各強制執行停止決定は、いずれもこれを取消す。

五、前項に限り仮に執行することができる。

事実

一、控訴代理人は主文一、二、三項同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

二、被控訴代理人は請求の原因として、

「(一) 原判決添附目録2、3、5ないし11、13、14、16、17、19ないし33の各建物はいずれも控訴会社の社宅であり、控訴会社の従業員であつた畔上忠蔵、小堤守および右両名の相続人を除くその余の被控訴人ら(以下訴外畔上忠蔵および同小堤守を含めてすべて被控訴人らという。)は、それぞれ控訴会社から同目録前記各番号記載の各建物を賃借して、同目録記載の各日にその建物に入居した。

(二) 控訴会社は、被控訴人らを相手方として江戸川簡易裁判所に対し、同目録記載のとおり起訴前の和解の申立をし、同目録前記各番号記載の各建物の賃貸借について和解をなし、同裁判所において同目録記載の各日に、同目録記載のとおりの内容によりそれぞれ和解調書が作成された。

(三) しかしながら、右和解はいずれもその前提たる「争い」がなかつたのであるから無効である。

(1)  現行法においては、紛争解決の制度と権利の実現を担保する制度は、明らかに区別されており、前者の運用は裁判機関たる裁判所に、後者のそれは公証人等の公証機関に委ねられている。起訴前の和解が、民事裁判と異なり当事者の自由な処分にその基礎をおくにもかかわらず、その成立について法律が裁判所の関与を要するものとしているのも、ひつきよう起訴前の和解が民事訴訟と同じく紛争の解決を目的としているからに他ならない。

従つて、起訴前の和解の前提としては、裁判所によつて解決されるべき価値と必要性を有する「争い」が存在しなければならないところ、起訴前の和解が不調となつた場合に訴訟に移行すること(民事訴訟法三五六条)、民事訴訟において将来の給付の訴が制限されていること(同法二二六条)ならびに権利の実現を担保するためには、起訴前の和解とは別途に公証制度が設けられていること等を考慮すれば、右の「争い」の意義は当事者間に主張の対立、不一致が現存するか、少くとも近い将来に確実に生ずる場合に限定せられるものというべきであり、たんに権利関係の不確実や権利実行の不安全が存在するにすぎない場合は、右の「争い」の範ちゆうに含まれないものというべきである。

(2)  控訴会社と被控訴人らとの間の前記各賃貸借契約は、従業員たる被控訴人らからの利用申込みに対する控訴会社の許可又は入居命令によつて成立し、その賃貸借の条件も控訴会社の一方的決定によるものであり、賃料も控訴会社が被控訴人らに支払うべき賃金から天引していたものであつて、被控訴人らの入居の当時ならびに前記の和解成立の当時においては、控訴会社と被控訴人らとの間に和解の前提たる「争い」が現実に存在していなかつたのみならず、その当時近い将来に「争い」の起るおそれもなかつたのである。

(3)  また、仮りに控訴会社が将来の被控訴人らの各建物明渡につき不安の念を持ち、あらかじめ強制執行の債務名義を取得する必要を感じていたとしても、前記のとおりこれをもつて和解の前提たる「争い」ということはできないし、またかりに、和解の要件として、権利実現の不確実を含ませるとしても、それは客観性ある場合に限られるのであるが、控訴会社が明渡しを受けるのに難渋したという者は、同会社が昭和二一年一方的に作業場を閉鎖し、全従業員を解雇した際の被解雇者の一部であつて、それ以外にはいかなる意味においても控訴会社との間で争いを生じた従業員はいないのであるから、控訴会社が抱いた不安は、被控訴人らとは全くかかわりのない第三者との間における特異な事実に基づいたたんなる憶測にすぎず、全く客観性を欠いている。

以上のとおり、本件起訴前の和解の前提には、いかなる意義においても「争い」といえるものがなかつたのである。

(四) さらに本件和解は以下にのべるとおり公序良俗に反するものであつて、無効である。

(1)  被控訴人らは従業員として控訴会社のなす一切の指示処分に服従しなければならない立場にあつた(控訴会社の従業員が労働組合を組織し、被控訴人らがこれに加入したのは最近のことである。)のみならず、控訴会社の工場が交通不便なところにあつたので、被控訴人らは社宅に入居しなければ、通勤不能で退職せざるを得ない状態にあつた。控訴会社は使用者としての優位的地位を利用しかつ、被控訴人らが右の特殊な状態にあることを奇貨として、起訴前の和解に応じなければ被控訴人らに対する入居許可を取消す旨の社宅管理規定を一方的に決定してこれを強行し、なおかつ、被控訴人らが起訴前の和解について全く知識に欠けており、無思慮であつたことに乗じて、控訴会社の一方的決定になる和解条項に同意せしめたものである。

(2)  控訴会社は、公正証書によるときは建物の明渡を目的とする債務名義を獲得することができないので、真実は全く「争い」がなかつたにもかかわらず、和解の申立書にあたかも「争い」が存するかの如くに虚偽の事実を記載して起訴前の和解の申立をなし、また、被控訴人らに対して裁判所においては「争い」があるかのように振舞うよう指示して、その通り振舞わせ、もつて、裁判所をして和解の要件たる「争い」が存する如く誤信させ、法律制度の目的に反して債務名義を得たものであり、さらに管轄合意書を偽造し、また和解条項に反して被控訴人らから、控訴会社の費した和解費用としてそれぞれ金三、〇〇〇円ないし、金五、〇〇〇円を一方的に徴収した。

(3)  控訴会社は、その社宅に入居する従業員に対して、右のような違法な行為を反覆継続して来たものであるが、これによつて成立した本件和解の内容は、控訴会社の一方的な解雇あるいは怪我、病気等従業員の責に帰することのできない事由に基づく退職によつて、従業員が職場を追われるだけでなく、生活の本拠をも奪われることを認めるものであり、これは被控訴人らにとつて極めて苛酷である反面控訴会社において不当な利益を博することを容認することとなる。

(4)  以上のとおり、本件和解は、優越的地位にある控訴会社が自己の権利について執行力を得るため、被控訴人らの窮迫、無思慮に乗じ、かつ被控訴人らの意思を抑圧し、控訴会社にとつて一方的に有利な内容を押しつけて、応ぜしめたものであることが明らかであつて、公序良俗に反するものである。

(五) 本件建物に入居した訴外畔上忠蔵は、本件和解後の昭和三七年一一月二六日死亡したので、その妻である被控人畔上ときその子である同畔上武則、同畔上照行、同畔上彰子が、相続によりその地位を承継し、同じく訴外小堤守は同三九年中死亡したので、その妻である被控訴人小堤きみその子である同小堤とき江、同小堤由夫、同小堤春子が相続によその地位を承継した。

(六) よつて、原判決添付目録前記各番号記載の各和解調書に基づく強制執行の排除を求めるため本訴に及ぶ。」と述べた。

三、控訴代理人は請求の原因に対する答弁として、

「(一) 請求原因第(一)、第(二)および第(五)項の事実は認める。

(二) 同第(三)項の(1) の法律主張は争う。同項の(2) の事実のうち、賃貸借契約が被控訴人らからの申込に対する控訴会社の許可により成立すること、控訴会社が被控訴人らに支払うべき賃金と本件各建物の賃料とを相殺したことは認めるが、賃貸借の条件が控訴会社の一方的決定によるとの点は否認する。

(三) 控訴会社と被控訴人らとの間には和解の前提たる「争い」が存在した。

(1)  控訴会社は、その江戸川工場が交通不便なところに所在するので、その通勤上の不便を解消しもつて従業員の要望に応え、新規従業員の採用条件を改善して人員を確保し、能率の向上を図るべく社宅および寮を建築所有し、その改造をして来たものであつて、被控訴人らが現在占有使用中の各建物は昭和一三年頃から同二一年頃にかけて社宅として建築したものである。

(2)  社宅の貸与は、控訴会社の従業員であることをその資格条件とし、従業員たる身分を喪失したときは、速かに明渡を受けることを方針としてその管理運営をなし、その方針は社宅貸与の都度、被貸与者に告知し、入居者もこれを承諾して社宅に入居して来たのであるが、従来、右の社宅貸与の方針は社宅の性質をわきまえない従業員によつて無視され、従業員たる身分喪失後、相当期間を経過しても、社宅等を明渡さない入居者が続出し、その数も一時は社宅一七〇戸中、約八〇戸ないし一〇〇戸にのぼり、その解決のため調停等の申立をしても、これに応ぜず今なお占有使用中の者さえあるしまつであつて、問題解決に至つた場合にしても、それに要した期間が相当長期にわたつた事実からして、社宅としての機能を保持することが不可能となつてしまつた。のみならず、従業員たる身分を喪失した者の社宅料支払も、懈怠される事例が多かつたのである。

以上の夥しい不履行の前例よりして、控訴会社が被控訴人らとの間の社宅関係を確実ならしめるとともに、これに基づく社宅の明渡を求める権利および社宅料の支払を受ける権利の実行を、安全ならしめる必要を感じたことは、単なる主観的なものではなく、また原告の主張する如く異例の事態に基づくものでもない。げんに被控訴人らは争議に入つた翌月である昭和三八年三月分から社宅料を滞納しているのである。

(四) 請求原因第(四)項のうち、控訴会社が被控訴人らをして好むと好まざるとに拘らず、本件各和解に応じさせたとの事実は否認する。控訴会社は被控訴人らに、社宅としての運営管理の趣旨を説明し、本件各和解をするにつき被控訴人らの了解を得たものである。」と述べた。

四、立証〈省略〉

理由

一、請求原因第(一)、第(二)および第(五)項の事実は、当事者間に争いがない。よつて、控訴会社と被控訴人らとの間に、それぞれ原判決添付目録2、3、5ないし11、13、14、16、17、19ないし33の各和解が成立し、和解調書が作成されたことおよび被控訴人畔上とき、同畔上武則、同畔上照行、同畔上彰子が、亡畔上忠蔵の、同じく被控訴人小堤きみ、同小堤とき江、同小堤由夫、同小堤春子が、亡小堤守のそれぞれ本件和解上の権利義務を承継したことが明らかである。

二、ところで、被控訴人らは、起訴前の和解は、当事者間に権利義務の存否範囲等について争いがある場合に限つて許されるのであるが、本件各和解の際には、右の争いが存在しなかつたから、これを無効とすべきであると主張する。

しかしながら、起訴前の和解の紛争解決制度たるゆえんは、当事者間に争いのある権利関係を確定することだけでなく、確定された権利を将来実現することにもあるのであつて、法律が起訴前の和解に確定判決と同一の効力を与え、執行力を附与するのも、右の趣旨を明らかにしたものに他ならない。従つて民事訴訟法第三五六条所定の「民事上の争」とは、現に争いのある法律関係を確定するためだけではなく、現在争いは止んだがそれ迄に紛争があつたためその解決内容を明確にしておく必要がある場合及びそれ迄の事情から推して将来権利実現に不安があると認められる相当の事由のある場合を含み、かような場合には和解を申立てうるが、右のような事情のない場合、例えば契約締結に当り予め債務名義を得ておくことを目的として和解を申立てた場合の如きは、「民事上の争」がないものとしてこれを却下すべきである。然しながらこれが看過されて手続が進められ、当該法律関係について合意が成立し、これが調書に記載されたときは、和解が成立したものとし、その効力は別個に考えられるべきである。何故なら、この場合においても当該法律関係についての合意は成立しているのであつて、「民事上の争」の存しなかつたということは、右の合意それ自体を無効ならしめる事由とは解し難い。そして「民事上の争」とは換言すれば、和解申立の利益であり、これを判決手続について言えば、確認の利益ないし将来給付の訴の利益と考えられるところ、これらの事由の欠缺は判決が確定した以上これを主張しえないのであるから、確定判決と同一の効力を有すると規定されている所謂起訴前の和解について、少くとも右の如き手続上の要件の欠缺を理由にその無効を主張しえないものと解するのが相当だからである。

然らずして一たん成立した起訴前の和解につき、紛争のなかつたことを理由とする無効の主張を許すとすれば、その申立の当時においては前記の「民事上の争」が存在した場合であつても、その存否について審理を遂げなければならない結果、所謂紛争の蒸しかえしを許すこととなり、その不当であることは自から明らかである一方、かりに申立の当時には「民事上の争」が存しなかつた場合であつても、かかる主張を許すとすれば、現に和解の効力が争われ、いわば和解によつて除かれるべき権利実現の不確実が目前の事態となつているにもかかわらず、その効力を否定することとなり紛争の解決を目途とする起訴前の和解の趣旨に沿わないものといわねばならない。

以上のとおり「民事上の争」の存在は、和解申立の要件であつて、その効力を左右すべき要件ではないというべきであるから、本件各和解の申立当時の争いの存否を認定するまでもなく、被控訴人らの主張を採用することはできない。

三、つぎに被控訴人らの主張する本件和解の手続面ないし内容についての公序良俗違反の有無につき判断する。

(1)  弁論の趣旨、成立に争いのない甲第二号証の一ないし五、同第三号証、同第五号証の一ないし五、同第七号証の一ないし三、同第一一、第一四号証、同第一五号証の一、二、乙第一四ないし二六号証、および同第二九ないし三二号証、郵便官署の作成部分の成立については争いがなく、その余の部分については原審における証人吉川輝男(第一回)の証言により真正に成立したものと認められる乙第二、第三号証、同第四号証の一、同第五、第七号証および同第九ないし第一三号証、同証人の証言により真正に成立したものと認められる同第四号証の二、原審における証人井上鎮夫の証言により真正に成立したものと認められる同第一号証、原審における証人吉川輝男(第一回)、当審における証人黒田博男、同工藤林平、および、原審および当審における証人井上鎮夫の各証言、ならびに原審における被控訴人須賀定男、同岡本常通、同伊藤光蔵、同戸島勝雄、同渋谷栄太郎、同成見秀夫、同日塔乞、同諸越新次、控訴を受けなかつた原告藤本幸一、控訴提起前死亡した原告小堤守、控訴取下前の被控訴人石田秀喜、および当審における被控訴人諸越新次の各本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

控訴会社の江戸川工場は、最寄りの国電の駅から相当の距離があり、その間の交通機関も十分でなかつたので、通勤上相当不便であつた。そこで控訴会社は、主として通勤の利便を計り、従業員を確保するため、原判決添附目録記載等の社宅を建て、これに従業員を収容してきたが、右の目的のうえから、入居資格を従業員である者に限り、その資格を失つた者は退去させる方針のもとに、その運営をしてきたところ、昭和二一年頃の工場閉鎖等によつて従業員の身分を失つた者のうちに、社宅を退去しない者が続出し、その解決に長い年月を要したので、前記の運営方針を徹底するため、被控訴人ら新たに入居した者を相手方として、主としてその退職後の明渡の履行を確保するため、本件各和解を申立てた。被控訴人らは、あるいは社宅担当者から右の運営方針の説明を受け、あるいはすでに入居している同僚などからその方針を伝え聞くなどして、その方針を知りこれに異議がなかつたので、控訴会社から、和解のため裁判所へ赴くよう指示されてこれに応じ、本件各和解を成立させた。

ところで、前顕各証拠によれば、被控訴人ら従業員に対して、控訴会社が優位的地位にあり、被控訴人らがその雇傭関係上の指示に服さざるを得なかつたことが認められるが、被控訴人らは社宅に入居する迄は実家や借間アパートなどから通勤していたこともあり、社宅に入居しなければ、通勤不能のため退職しなければならない事情にあつたことは認められないし、また、昭和三七年七月一日、控訴会社が、起訴前の和解の手続を社宅入居者が拒否したときは、入居の許可を取消す旨の社宅管理規定を定めた事実を認めることができるが、被控訴人らが入居し和解に応じた当時に右の趣旨の規定があつたことを認めるに足る証拠はないし、また、本件各和解の当時、控訴会社が被控訴人らをして強制的に和解に応じさせていた事実を認めるべき証拠も十分ではない。以上のとおり控訴会社が被控訴人らの窮迫に乗じ、強制的に本件各和解に応じさせたとの事実を認めるに足る証拠はないから、この点に関する被控訴人らの主張は採用するによしないものである。

なお、被控訴人らが起訴前の和解について法律的知識に欠けていたとしても、そのことは適式に成立した和解の効力を左右する事由とはならないものというべきであるから、この点に関する被控訴人らの主張も理由がない。

(2)  前顕証拠によれば、控訴会社が和解を申立てるにあたり、その申立書に賃借条件等について争いがあるかの如く記載し且被控訴人らの一部の者に対して、裁判所において争いがあるかのように振舞うよう指示したことが認められ、この点は妥当を欠くと謂わねばならないが、他方被控訴人らがそのように振舞つた事実を認めるべき証拠はない。ところで、和解申立の要件たる争いは、権利関係の存否範囲の争いに限られず、権利実現の保証を得る必要性ある場合にも認められることは、前述のとおりであるのみならず、被控訴人らも控訴会社の申立に応じて和解を成立せしめたのであるから、その過程において妥当でなかつた点があるにせよ、前項認定の事実を併せ考えれば、本件和解を以て公序良俗に反し無効であるとするには足りないと謂うべきである。

なお、被控訴人らは、本件和解について作成された管轄合意書は偽造である旨主張するが、本件全証拠をもつてするも、これを認めるに十分ではなく、また控訴会社が、和解費用を不当に徴収したという点も、かりに、その事実があつたとしても、本件各和解が公序良俗に反し、違法となるものではないから、この点に関する被控訴人らの主張を採用することはできない。

(3)  最後に、被控訴人らは、本件各和解の内容が公序良俗に反する旨を主張するので、この点に関して検討することとする。

本件各和解の条項中に、被控訴人ら社宅入居者が控訴会社を退職したときには、退職後三ないし六ケ月中に、社宅を明渡す旨定められていることは、当事者間に争いがない。被控訴人らは、右の条項は、控訴会社の一方的な解雇あるいは怪我、病気等被控訴人らの責に帰することのできない事由に基づく退職によつて、被控訴人らが生活の本拠を奪われる反面控訴会社が不当な利益を博するが故に、公序良俗に反するというのであるが、すでに認定したとおり、被控訴人らが入居している社宅は、控訴会社に通勤する者の不便を解消し、従業員を確保するため建築されたものであつて、前顕証拠によれば、その賃料も一般の民間住宅に比べ相当廉価であることが認められるのであるから、控訴会社が退職した者から社宅の明渡を受けることをもつて、不当の利益を博するものということはできないし、また、現在の労働法制においては、使用者の一方的な解雇も、労働基準法第一九条、第二〇条、および不当労働行為の禁止などによつて、その濫用が制限されており、さらに被用者の怪我、病気等についても、不十分とはいいながらもそれに相応する保護が与えられているのである。そしてこれら解雇について制限のある場合を別にすれば社宅である以上退社を理由にその明渡を求めることは正当と考えられるし、従業員中社宅利用者はそうでない者に比し相当の利益を得ているのであるから、その反面退社の場合速やかに社宅を明渡さなければならないにしても、それ程苛酷な不利益を強いられたものとは断じがたい。

(4)  以上のとおり、本件各和解は、控訴会社がその優位的地位を利用し成立させたものであり、その内容が控訴会社に有利であることは認められるが、その成立の経過において、控訴会社が被控訴人らの意思を抑圧し、その窮迫無思慮に乗じた事実は認めがたく、またその内容も被控訴人らにとつて苛酷なものとはいいがたいから、本件各和解が公序良俗に反し無効である、という被控訴人らの主張は採用し難いものである。

四、叙上のとおり、本件各起訴前の和解を無効とし、その執行力の排除を求める被控訴人らの主張は、いずれも理由がないにもかかわらず、被控訴人らの請求を認容した原判決は不当であるから、これを取消し、被控訴人らの請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九六条、第八九条を適用し、本件につき江戸川簡易裁判所が昭和三八年六月七日および同年九月二六日になした強制執行停止決定については、同法第五四八条第一項により職権をもつてこれを取消し、同条第二項によつてこれに仮執行の宣言を附することとして、主文のとおり判決する。

(裁判官 室伏壮一郎 篠原幾馬 浅生重機)

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